財団法人大島育英会は、『(株)中野組(現、ナカノフドー建設)』の創業者故大島義愛氏が私財約4億円を拠出し、昭和52年11月に設立されました(平成22年7月公益財団法人へ移行)。 大島義愛氏は、小学校を終え弱冠12才で個人企業であった「中野組」に入り、働きながら築地工手学校に学びました。現在なお有名な日本橋・旧日本銀行・国会議事堂・中央線笹子トンネル・今はなき鍛治橋など多くの石造建築物を手がけ、昭和8年土木建築部門の事業を継承して分離独立、昭和17年株式会社に改組、業績の発展と共に建設業界には欠かせない存在となり、数多くの公職を担い、特に社会福祉・労働安全・建設業界発展に貢献しました。 常に「学ぶことの大切さ」を説いていた同氏は、「教育の充実と人材の育成は、教育担当者のみに一任すべきことではなく、社会も家庭もひとつになって応援してこそ、実効が期待できるものである」との信念に基づき、自身の経験から永年抱いていた学費に恵まれぬ青少年への支援を決意し、以下の設立趣意書の通りこの育英会を設立したものです。
『近年における我が国経済は長期にわたる安定成長が期待され、文化・国民生活も向上しつつあります。この文化・生活を維持・発展させる為には次代を担う有為の青少年の奨学が肝要とされるところであります。 しかるに、志操堅固・学力優秀でありながら経済的事由により就学困難な学生諸君も未だ少なくないように見受けられます。 このような実状にかんがみて、微力ながら本財団を設立し、社会有用の人材の育成の為に奨学援助を行うことを永久の事業とするものであります。』
昭和52年11月